1980年代、日本経済が急成長を遂げるにつれ、日本の若者のファッションへの関心はますます高まりました。しかし、彼らはアメリカに飽き、デザイン性に富んだヨーロッパのブランドを愛するようになりました。グローバルな多様性と洗練された文化へのシフトは、ビームスにも影響を与えました。1981年、ビームスはスペシャリティショップの頂点とも言える「インターナショナルギャラリー ビームス」をオープンしました。インターナショナルギャラリー ビームスは、世界のトップブランドやメゾンのコレクションに加え、新進気鋭のアーティストによるアート作品も展示しました。同時に、ビームスは吉田カバンをはじめとする高品質な日本ブランドとの関係を深め、日本の若いファッショニスタたちに輸入品への偏執的なこだわりを見直すきっかけを与えました。
1980年代 1980年代
日本の経済成長と景気の好況

1981年、コム デ ギャルソンとヨウジヤマモトがパリでデビューコレクションを発表し、プレタポルテ界に衝撃を与えました。1980年代半ばには、日本でもこうしたデザイナーの影響を受けて、いわゆる「デザイナーズブランド」「キャラクターブランド」(DCブランド)が大流行しました。この時期、東京のファッションはもはや単なる海外の模倣ではなく、日本独自のオリジナリティあふれるものへと変貌を遂げました。この頃、ビームスは外部デザイナーとのコラボレーションによるオリジナルメンズウェアラインを展開し始めました。ビームスはもはや単なる小売業ではなく、アパレルの企画・生産を事業の中核に据えるようになりました。


1980年代のバブル経済の好景気の中、ビームスは飛躍的な成長を遂げました。1984年には、シックで現代的なレイ ビームス ラインでレディス市場へ進出。その後、モダンでデザインコンシャスのルミエール ビームス(現インターナショナル ギャラリー ビームス ウィメンズ)、品質を重視するスタンダード ブランドのラピス ビームス(現デミルクス ビームス)、カジュアルなメンズウェアからインスピレーションを得たレディスウェア ラインのビームス ボーイなど、多様なレディス レーベルを展開しました。1985年には、ビームスは日本国内で初めて小売販売を開始。世界のトレンドに対応するため、ビームスのバイヤーはヨーロッパを定期的に訪問し、最終的にロンドン、ニューヨーク、パリにオフィスを設立しました。1988年には、社長の設楽洋が経営を引き継ぎ、80年代は今日のビームスの中核となる基盤が築かれた10年間となりました。
文:村上要/WWD JAPAN編集長 W.DAVID MARX / 『地位と文化』『アメトラ』著者
